マイストーリー

第10話:死産の悲しみをみつめて

前置胎盤で帝王切開したHさんは、
妊娠中から希望していたバースプランを、こうやってかなえることが出来ました。

第9話:前置胎盤の帝王切開とバースプラン 生まれた後に、 あかちゃんがダウン症であることを知ったSさんを通して、まだ新人だったわたしは、いろいろなことを考えるきっかけに...

 

いちばん悲しいお産。

印象に残っているエピソードといえば、
残念ながら、ハッピーエンドばかりではありません。

その中でも、
今でも時おり、思い出して考えるのが、Yさんのこと。

 
それまでに立ち会ったお産の中で、いちばん静かだったお産。

それは、産声を聞くことができなかった悲しいお産でした。

 

Yさんは、妊娠中からお腹のあかちゃんに大きな病気があることを知っていました。

生まれても長くは生きられないだろうと言われていました。

 
わたしがYさんの受け持ちになったのは、お腹も目立ち始めた妊娠7ヶ月の頃。

生まれた後の延命治療をどこまでやるか決めないといけない時期でした。

Yさんは、お腹の赤ちゃんのことをとても大切に思っていて、延命治療をするかしないかの選択を自分では決めきれないと悩んでいました。

外来でYさんと会い、そんな話を数回ほど重ねていました。

 

ところがそんな矢先、
突然、お腹の中で、あかちゃんの心臓が止まってしまいました。

予定日よりかなり早く、その日は訪れてしまいました。

 
妊娠8ヶ月に入っていましたので、
薬で陣痛を起こし、あかちゃんをお腹の外に出さないといけない状況でした。

もちろん、
あかちゃんの病気を指摘された時点で、そんな可能性があることも伝えられてはいました。

ですがYさんは、どんな形であれ、あかちゃんは生きて、生まれてきてくれると信じていたので、その事実をすぐには受けいれられない様子でした。

 
昨日までは、ちゃんとお腹の中で動いていたのに??
どうして、急にこんなことになったの?!

そんなのいやだっ! !
お腹から出したくない
まだこの子と一緒にいたい

生きて会えないとわかっているのに、この子と離れるための陣痛だなんて
そんな痛みに耐えられるわけがない

いやです、ぜったいに嫌だ…

Yさんは、そういって泣きました。

 

ところが、
あかちゃんがお腹の外に出てくるまで、それほど長い時間はかかりませんでした。

あかちゃんはやさしかった。

Yさんはあまり痛むこともなく、本当に静かに、ひっそりとお産を終えました。

 
モニターの音さえもしない静けさ。
いつもはうるさいくらいの分娩室なのに、そのことがよけいに、悲しく感じました。

とても小さくてかわいい赤ちゃんだった。

男の子でした。

 

Yさんの手紙

お産の後、Yさんからお手紙をもらいました。

本当にお世話になりました

初めて4月に来院してから、ちょうど1ヶ月目になる今日、彼は生まれる事を決めていたのかもしれません

 
1ヶ月あれば、こんな母でも、泣くのをやめて、少しは元気になって、きっとすべてを受け止めて産んでくれると、私にくれたプレゼントの時間だったのかも..

この1ヶ月、泣いたり悩んだり、2人の子どもが元気に育っている事のありがたさ、主人の寛大な心に、改めて感謝したり、こんな事にならなければ、気付かなかった気持ちに気付かせてくれたのは、彼のおかげです

病院の窓の外の青い空を見ていると、泣けて泣けて仕方がないけれど、気付かないうちに、毎日、空を見て「今日はがんばろう」とか「雨でざんねん」とか、空を見上げている自分がいました

 
どこまでも続いていて、自由で、だから、ある日、ひらめいて、主人の名前を一文字もらって「ソラ」に決めました

(一部修正、抜粋)

 

誕生死【Still birth】とは

死産や流産のことを、英語では【Still birth】といいます。

『それでもなお生まれてきた』という意味。

だから、死産や流産とはいわず、あえて【誕生死】とよびます。

 

産声をあげることはなかったけれど、宿ったその瞬間から、お腹の中で生きていたのはたしかなこと。

だけど、そうはいっても、
その短い命には、そしてその誕生には、どんな意味があるんだろう。

悲しみが大きすぎて、すぐに意味を見い出すのは難しいかもしれない。

慰めにしか聞こえず、怒りすらおぼえることもあるかもしれない。

それでも、やっぱりこの世に産まれてきた命という意味なんだと思います。

 

あれから10数年たった今・・

退院した後も、Yさんとは外来受診の度に、会ってお話をしました。

そのたびに、Yさんは悲しい気持ちを訴えてくれました。

わたしは、ただ側で、話を聴くしかできなかったけれど。。

 
その間ずっと、わたしは、
「何もしなくてもいい、側で話を聴くだけでいい。ただ、思いを吐き出すだけの場所でいい」という想いと、

「この悲しみをなんとかしてあげたい、どうにかしたい。でも、わたしには何もできない」という想いの間で、れ続けました。

 
Yさんは、その悲しさからか、
お産の後しばらくして、体調を崩されたりもしました。

もちろん、回復はしましたが、
そのことがまた、わたしの中の「もっと出来ることはあったんじゃないか」という想いを強めたりもしました。

 

今のわたしだったら、あの時のYさんに、なにか違うことができるだろうか?

もっと、気の利いた言葉をかけることができるんだろうか??

今でも時おり、そんな風に考えます。

 
だけど、出てくるのはいつも、
「きっと、あの頃となにも変わらず、なにもできずに、立ち尽くすだけ。黙って、ただ話を聴くだけしかできないだろう。ただそこにいて、悲しみをみつめながら…」というこたえ。

 

でも、あの頃と違うとしたら、悲しむ大切さを知ったこと。

悲しみから立ち直って前を向き、悲しみといっしょに歩いていく人の様子をみてきたこと。

 
その過程は人それぞれで、
そばにいるわたしの悲しさも苦しさも変わりはしないんだろうけど。

たぶん、それしかないんだろうな、という気がします。

 

Yさんとの関わりは、
これまでのわたしの死生観に大きな影響をあたえました。

正直いって、
これまでほとんど考えたことすらなかったから。

生まれてくることの意味、死ぬことの意味、あなたは考えたことはありますか??

第11話:たとえば、流産とこの世に生まれてくることの意味を考える それは、これまでに立ち会ったお産の中で、いちばん静かなお産でした。 産声を聞くことができなかった悲しいお産の話。 h...

 

くるみ助産院の
マイストーリーズ


これまでの道のり、世界観や人生観を、
第1話~第〇〇話までのマイストーリー形式で綴っています。

読めば、助産師の鍼灸師 下地あやの のことがもっとよくわかります。

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  • 病院時代の忘れられないエピソード
  • 鍼灸師になったのは恋におちたから
  • 三度にわたる壮絶なつわり体験記
  • くるみ助産院をひらくまで,など

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