マイストーリー

第9話:帝王切開とバースプランと母乳育児

前回の話:
生まれた後に、あかちゃんがダウン症であることを知ったSさんを通して。

命はそこにある日常。

第8話:生まれたあかちゃんはダウン症 病院勤務時代の忘れられないエピソードをご紹介しています。 前回の話: 双子を経膣分娩したAさんから、 自分で産む力の姿...

 
***
今回の話の主人公は、Hさんです。

Hさんは、
妊婦健診で『前置胎盤(ぜんちたいばん)』を指摘され、帝王切開することがすでに決まっていました。

日本産婦人科学会によると、
前置胎盤とは、

胎盤が、正常より低い位置(膣に近い側)に付着してしまい、そのために胎盤が子宮の出口(内子宮口)の一部/全部を覆っている状態をいいます。全分娩のおおよそ1%弱を占めています。通常、経膣分娩では、赤ちゃんのあとに胎盤が出てきますが、前置胎盤では、胎盤が赤ちゃんよりも下(膣)側にあるため、赤ちゃんより先に胎盤が出てしまうことになります。そうなると、子宮から大出血するだけでなく、胎盤が先に出ることで赤ちゃんは胎盤からの栄養や酸素が途切れ、呼吸ができない状態になります。したがって、前置胎盤の場合には、ほぼ100%が帝王切開分娩です。

とあります。

 
また、前置胎盤の場合、
通常の帝王切開より出血の量が多くなり、輸血が必要になる可能性が考えられます。

その準備として、
予め自分の血液を貯めておき、それを輸血するという"自己血輸血"という方法があります。

 
Hさんは、妊娠中、外来で、
そのための血を貯める処置をおこなっていました。(要は、自分のための献血)

わたしは、その時点で、Hさんの受け持ちになることがすでに決定していたので、
外来でまず、妊娠経過のこと、前置胎盤と指摘されたこと、現状の理解やお気持ちなどを伺いました。

 

それから、数回にわけて、
帝王切開の流れ、産後の入院生活のことなどの話をさせてもらいました。

その中で、バースプランとして、
帝王切開でもどんなお産にしたいか、Hさんがどんな希望をお持ちなのかを聴いていきました。

 

バースプランでのHさんの希望は、3つありました。

1つ目:帝王切開の予定日まで、大きな出血やお腹の張りがなく過ごすこと。
(前置胎盤の場合、そのようなリスクがあるため)

2つ目:できれば手術室で、すぐにあかちゃんを抱っこすること。

3つ目:母乳で育てること。

 
1つ目は、
Hさんだけの希望ではなく、医療者側のわたしも含め、誰もが願うことであり、

2つ目は、
予定の帝王切開で大きなトラブルがなければ、主治医や手術室のスタッフとの事前うちあわせで、可能です。

ただ、3つ目だけが、若干の問題でした。

 
母乳育児を希望する問題点とは、
あかちゃんの栄養となる母乳が、お母さんの血液から出来ていることです。

Hさんは、前置胎盤のため、
通常の帝王切開より出血量が多いことが予想されます。

つまり、術後、貧血になる可能性が高く、
そのために、母乳の出が悪くなることが考えられるのです。

 
さらに、血が足りないということは、体力の回復も遅くなります。

また、帝王切開の傷の痛みが、授乳に影響することも考えられました。

 
というのも、
いまは、おかあさんとあかちゃんが一緒に過ごせる母児同室も増えていますが、

当時は、授乳のたびに、歩いてベビー室に行き、
ソファで座ったまま、授乳しなくてはいけませんでした。

帝王切開をしたおかあさん達が言うには、
これがとくに傷に響くそうで、口々に大変だと話していました。

 

母乳育児は、産後にいかに、出来るだけたくさん、
あかちゃんにおっぱいを吸わせるかが、とても重要だということ。

おっぱいは、
出るから吸わせるのではなく、吸わせるから出るようになるものなのです。

ですから、帝王切開の後、
Hさんの貧血の具合やどれだけ動いて授乳に行けるのかが、カギになると考えました。

 

わたしは、Hさんに、
事前に、ここまで説明したことをすべて、お話しました。

帝王切開後のHさんの状態とあかちゃんの具合をみて、ミルクを足す可能性があることも説明しました。

Hさんは、それらをしっかり理解されていました。

 

Hさんの帝王切開は、
予定通り、無事に終了し、あかちゃんも元気に生まれました。

希望通り、手術室であかちゃんを抱っこすることもできました。

ですが、やはり出血量は多く、
貯めていた自己血を輸血しましたが、産後も貧血状態は続いていました。

 

Hさんは、
痛み止めを使いながら、呼ばれるたびに、授乳室に通いました。

心配して、声をかけると、
「傷の痛みや体のだるさはあるけど大丈夫、がんばります」と答え、頻回授乳を心がけていました。

わたしは、Hさんの授乳の合間をぬって、
おっぱいマッサージやあかちゃんの抱き方を工夫するなどのお手伝いをしました。

 
やはり実際、Hさんの母乳が十分に出るまでには、時間がかかりました。

体重のこともあったので、赤ちゃんには、途中でミルクが足されました。

Hさんは、それでもあきらめずに、
「あかちゃんが泣いたら、必ず呼んでください」といって授乳を続けました。

 
その甲斐あってか、
少しずつ、母乳が出るようになり、あかちゃんの体重もふえてきました。

Hさんは、貧血がひどかったので、
通常の帝王切開より、入院期間がすこし長かったと記憶しています。

そして、その頃には、
ほとんど母乳だけで、あかちゃんと一緒に、無事、退院することができました。

 

退院の時、Hさんはこんな言葉をかけてくれました。

「妊娠中に、手術の後の産後のことをいろいろと聞いていてよかったです。知っていたからがんばれました。ありがとうございました。」

とても、うれしい言葉でした。

 

母乳育児の良いところは、たくさんあります。

ですが、ここでもあえて言っておきたいのは、
なにがなんでも、必死で完母(完全母乳育児)にすべきとか、そういうことではありません。

やっぱり大事なのは、
ご自身の希望と、そのための工夫と努力、安全への配慮のバランスなんです。

 

Hさんの場合は、
母乳で育てたいというはっきりした希望と、そのためのご本人の努力、どうやったらできるのかという知識や専門家のケア(工夫)がありました。

そして、
母乳の出があまり良くなくあかちゃんの体重が減ってきた時には、素直にミルクを足し(安全への配慮)、それでも母乳育児は続けたいという希望を持ち続けたことが、最終的にうまくいった結果だと思います。

 

そういった”しなやかな強さ”って、大切なことなんだなと思いました。

そのための事前準備だとか、
希望をしっかり伝えておくことで周りの協力を得ることだとか、そのためには自分の意思をはっきりさせておくことが必要なんですよね。

 

印象に残っているエピソードといえば、
残念ながら、必ずしもハッピーエンドばかりではありません。

今でも時おり思い出して、考えます。

今のわたしなら、あの時以上の何かができるんだろうか、と。

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