
前回の話:
学生の時、実習先で出会ったあの光景が、おそらくわたしの原点です。

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大学を卒業後、
はじめての就職先は、千葉大学病院の産婦人科でした。
社会人として、はじめての県外生活。
なにもかも初めてで、
最初は、電車にのって目的地に着くかどうかも不安でした。
(沖縄は電車ないから・・)
なぜ、千葉大を選んだのか??
面接では、
もっともらしいことを言いましたが、実際は、東京に就職したかったけどいきなりは怖かったから、という理由です、笑;
(千葉に失礼・・)
大学の友人が同じ就職先だったので、
そこは安心して、県外に行くことができました。
(のちに彼女は、沖縄でわたしのお産をとりあげてくれた人)
大学病院でのお産事情は?というと、
もともと、基礎疾患のある妊婦さんや、お腹のあかちゃんになにか問題があるような方のお産が多い現場でした。
(ハイリスク出産といいます)
その分、帝王切開も多く、
ほとんどが分娩台のうえでしたし、医療介入も多いお産でした。(どこの病院でも似たようなものかもしれない)
そんな中でも、病棟の先輩たちは、
なるべく医療介入が少なくなるよう、積極的に産婦さんにかかわったり、ドクターとの調整をこころがけたり、熱心な助産師さんが多かったと思います。
実際に、就職してから、
先輩たちに教わったお産に対する考え方がたくさんあります。
鍼灸師になるという発想もそのひとつ。
妊婦には冷えが大敵だという保健指導や、母乳育児のための基礎的な知識は、ほとんどここで教わりました。
正直にいうと、
わたしの助産師としてのお産介助経験はそれほど多くはありません。
多く見積もっても、たぶん100件に満たないかもしれない。
婦人科も同じ病棟でしたので、
婦人科系の手術を受けた人やガンの患者さんもたくさん担当しました。
妊婦さんやお産のケアだけでなく、
その経験も、わたしにとっては大切な財産です。
そんな大学病院勤務時代の経験の中から、
印象深いエピソードをいくつか、ご紹介したいと思います。
まずは、そうですね・・
介助したお産(経腟分娩)の中でも、とくに印象に残っている手術室での双子のお産の話から。。
